連載第十二回目

★営業にのめり込む
リクルート人材センターでの求人広告営業は、まず各営業マンが飛び込みや電話アポで企業の社長や担当者と面談。ニーズを確認すると、求人広告を作るための簡単な取材をします。といっても、営業マンは皆書くことが本業ではないですし、求人広告の大半は1/2や1/4ページの小さなモノ。数十ページのパンフレットを作るのではないですから、大概は募集要項のヒヤリングと既存の会社案内などをもらい、それを持ち帰って社内の制作担当に広告を作ってもらうというものでした。
当時はとても、自分で原稿を書くなんて考えは全くありませんでしたし、書いたこともないです。ただ、面白い社長に会うと、仕事はそっちのけで主に「人生+創業物語」を聞いていました。自分が最初の就職で失敗していたということと、リクルートはバイトから正社員になるのが大変難しく、次の転職先第1希望はリクルートの正社員だが、どこか他にもイイ会社がないかなと探すついでに様々な話を聞きましたね。こうしてあんなに嫌だった営業の仕事ですが、この営業にはのめり込み、新規開拓部門では社内でまあまあの実績を計上。数ヶ月後にはバイトから月給制の契約社員に昇格し、次は正社員!と夢見ていました。
★シーガルコンテスト
そして、入社2年後、リクルート社内で論文大会「シーガルコンテスト」が実施されることになり、主立った営業マンは契約社員も含め全員、営業論文を書くことに。しかし、私は昔の学校での作文が書けない悪夢が頭をよぎり、全く書こうとはしませんでした。前にも書いたように、大学時代から毎日日記を書いてはいましたが、それとこれは違う。俺は単なる営業マン。書けるはずがないと諦めていましたね。でも締め切りが近づくに従い、同僚の「できた!」なんて言う声を聞いていると、段々と焦ってきました。正社員を目指すのなら、やっぱり出さないとマズイと、1週間前から仕事が終わった夜に会社で残業。うんうん唸りながら書き始めました。でも、やっぱりダメなんです。書いてる途中で投げ出し、会社の床に寝ころんで仰向けになり「ああ~書けない!もうダメだ!」と叫んだことを鮮明に覚えています。すると、当時の営業庶務で田子さんという可愛い女性(後にアタックして振られる)が「も~、ガンバってよー」と言ってくれ、数分後に起きあがってまた書き始めました。
文章の書き方を習ったこともないし、そういう参考書を読んでもいない。どうやって書いたらいいんだと悩んだあげく、「もう、しかたない。普段書いてる日記のように、あの会社からどうやって受注したかを時系列に書こう。要は、営業日報の延長だ」と、論文?書きを再開しました。
★最終選考に残る
題材に上げたのは3社。半導体製造装置の中央理研、薬品のベーリンガーマンハイムジャパン、半導体関連のデータプローブ。
いずれも新規開拓営業を私がどうやって取り組んだかをほとんど見直しもせず、当時はワープロは使えませんでしたから、原稿用紙に鉛筆?で書いていきました。ある論文はこんな感じです。
「ある日曜日、彼女のいない私は月刊誌<日経ベンチャー>を読んでいた。するとそこに、経営セミナー&交流パーティの記事があり、こんなところに行けば社長連中とグラスを傾けながら、様々な話ができるのではないかと思い、出かけることにした。皆、社長ばかりでどうみても私が一番若い。怖じ気づいて会場の隅にいたところ、スグ横の人が話しかけてきた・・・」
こうしてなんとか形を整えて論文を提出。数日後には忘れて日々の飛び込み営業にいそしんでいました。その後、たまにシーガルコンテストの話を聞きましたが、所詮、私はバイト&契約社員。賞の対象になるはずもないだろうと、諦めていました。しかし、その1ヶ月後、ある先輩から「栢野の論文が最終選考に残っている」と聞き、「ええ?まさか。そんなことがあるわけないでしょう」と、まあ少しは期待しましたが、完全に半信半疑。仕事が終わると、毎晩のごとくカラオケや飲み会に行ってました。