連載第十五回目

★3社目の転職
26歳で3社目の転職でしたが、この頃も全く文章で食っていくなんて想像もつきませんでしたね。
バイク営業→求人広告営業→コンピュータのリース営業と脈絡ない転職。ただ、リクルート時代と違って今度は正社員なので、なにか安定感というか、これで堂々と胸を張って生きていける。恋愛も結婚もできるぞという気持ちはありました。
しかし、前にも書きましたが、このCSLは日本IBMとモルガン銀行とオリックスの3社ジョイントベンチャー。学歴も頭も優秀な人達ばかりで、国立一期校と早慶クラスばかり。私なんかは下の下。「お前は立命館か。まあ、新卒なら無理だな」みたいな目で見られ、実際に「よく入れたね」とも言われましたね。
仕事はIBM専門のリース営業。つまり、毎日IBMの営業所に顔を出し、営業マンをつかまえては「なんか案件は無いですか?」とやる仕事。要はIBMが売り込みに成功したあと、コンピュータを導入したお客を紹介して貰ってリース契約を貰うのです。つまり主導権がほとんどない。「これはどこかで経験した仕事だ」…そうです。ヤマハ発動機の時と同じく、決まったお客に顔を出すルートセールスでした。
★苦手なルートセールス
入社1ヶ月目で冷や汗が出てきました。ヤバイ。これはどうも俺に合わないのではないか…。でも、もう3社目だし、こんなイイ会社には2度と入れないぞ、なんとか頑張らねば。でもIBMの営業マンお尻を振ってお願い営業は嫌だ。それで私がとった行動は、「そうか。IBMよりも先にお客を見つければいいんだ」と、大阪の町を飛び込み営業し始めました。つまり、コンピュータを導入しそうなお客を見つけ、IBMを提案すればいいんだと。
「???」。課長の細川さんは目を丸くしてましたが、これがさすがの人で「まあ、やってみろ」と泳がしてくれましたね。
しかし、当然ながら全く売れません。当時は汎用コンピュータやオフコンが全盛の時代。1台数億~安くても1000万円台で、パソコンじゃあるまいし、わけのわからないリース屋が「コンピュータ入りませんか?」とやっても売れるはずがないですね。コリャダメだと1週間で諦め、またIBMの営業所に顔を出す日々が続きました。
★今度こそはうまく行きそう
そして、IBMから紹介して貰ったお客に「IBMは高いなあ。中古ないの?」と言われ、IBMは最高級品で会社はリースアップの中古も扱っていたので提案すると、「新品の営業妨害だ!」とIBMから怒られたり、「金魚のフンのくせに偉そうな提案をするんじゃない!」なんて言われ、悪い予感が広がっていきました。
ただ、そんな中でもIBMも諦めていたハイセンス(現在の通販会社フェリシモ)に大型の3083という中古の大型コンピュータを売るなど少しは面白みを見出し、社内でも存在感を示すことができました。
元々、ノルとお調子者ですから、皆と毎晩カラオケに行ったり、合コンみたいな休日活動をやったりして、「今度こそはうまく行きそうだ」と入社2年目には思いました。
その頃には高校2年以来、社会人になって初めての素敵な彼女も出来、29歳になった年には結婚も考えました。「やっと俺にも春が来た」。ところが中途入社3年目、初めて新入社員の部下を持つことになり、自分の重大な欠陥に気づき、青ざめました。