連載第十六回目

★やっと俺にも春が来た
仕事も恋愛も好調「やっと俺にも春が来た」と思った中途入社3年目、初めて新入社員の部下を持つことになり、自分の重大な欠陥に気づき、青ざめました。教えようとしても教えられない。特にリース契約の複雑な金利計算が???それに、契約書の複雑な文言もわからない。おそらく今は、そんなことは数字をポンと入れるとパソコンが自動計算すると思いますが、当時は手計算が主流。それをなんとか勘でやってたんですが、新人には一から理論的に教えないといけない。でも、説明が出来ないんですね。あの会社は営業が出来るというより、そういう社内事務や理論説明が出来るか否かも重大な査定対象でした(と思う。本当はそんなのどうでもイイと思うんですね。今は。だッて客には関係ない)。
で、同時に私と同クラスの同僚=年下の主任クラスも部下を持ったんですが、彼らの方が指導がうまいし、実績も上。つまり、同期生・年下の同僚よりも、明らかに実力が下だと認識し、努力はしたんですが焦ってばかりでダメ。なんと部下を持って1週間目にはノイローゼになりました。
★気がつけば出社拒否
部下は可愛い同じ立命館出身の女の子。だから余計、国立一期校・早慶や関学・同志社なんかには負けられないと思ったんですが、やはり俺は立命館なんだみたいな劣等感も強くなり(笑うでしょう)。
でもそんな出身校色眼鏡は明らかにあった。周りも自分も)昭和63年のGWの頃には完全に落ち込んでいました。さらに複雑な案件=リース予審審査を巡ってIBMとの板挟みも重なり、しかし、ここでまたヤマハの時と同じになってはダメだと踏ん張りましたが、気がつけば出社拒否をしてました。つまり、会社と仕事から完全に逃げたんです。数日後、なんとか這うように出社はしましたが、目はうつろ。実はこの頃、婚約も決まっていて、式場も案内発送も終わっていた。それも社内恋愛でしたから、会社を辞めるわけにはいかない!ちょうど行われたゴルフの社内コンペに出て、「あれは単なる過労だったんだ」と振る舞いましたが、忘れもしません。ナイスショットを打ったあと明るく振る舞い、一緒に回っていた常務に話しかけると、明らかに「何だお前は。ノイローゼらしいな」みたいな無言の顔で無視されました。
★精神内科を訪れる
大ショックでしたね。「そうか。もう、東京の役員まで俺がダメだという情報が回っているんだな。サラリーマンとしては、もうお終いだ。また、ヤマハの二の舞だ」。それから数日後、またも出社拒否。彼女も心配してくれて励ましてくれましたが、もうどうしようもありません。生まれて初めて精神内科を訪れ、ウツと診断されてクスリを貰いましたが一向に効かない。当たり前です。別に精神を病んでいるのではなく、原因は仕事が出来ない、もう出世は出来ない。それどころか、結婚ももうダメだ。トドメは招待状も出している。仕事、女、友人知人・・・全ての信頼を失ったと思って町を放浪し、私は死に場所を求めました。