連載第十八回目

★失敗した人も東京へ行く
こうして29歳で3社目の会社も挫折退社しましたが、まさか博多に帰るわけにはいかない。また、元婚約者も私を見放してはいませんでしたが、悪夢の大阪は離れたい。1ヶ月ほど考え抜き、というか、逃げたい気持ちで東京へ再び行くことを決めました。大体、こういうときは東京ですね。田舎は目立つが、東京は人数が多い分、逆に目立たないし、孤独を楽しめる。だから、成功した人は勿論、失敗した人も東京に行くんですね。
彼女を大阪に残したまま、しかし、まさに逃げるように東京へ行った私は、弟が住んでいた清瀬にアパートを借りました。すぐに次の仕事を見つけたかったんですが、さすがに精神的ショックが大きく、数ヶ月は毎日、川や海へ行ってボーとしながら、ユーミンやオフコースやサザンの歌を聴き、様々な人生本を読みました。月に数回は湘南や伊豆、三浦半島まで車を飛ばし、ずっと海を眺めながら力が湧いてくるのを祈りました。
★話をして気づく
しかし、「プラス発想」、「人生に無駄はない」的なものを幾ら読んでも即効性はない。幸い、東京には以前の知人や高校時代の友人もいて、グチを聞いてもらえるだけでも有り難かったですね。特に親友の伊藤には世話になった。ちょうどアイツもプータローで、2人で一緒に中野サンプラザへよく泳ぎに行ってましたね。こういうときの為にも、友人知人の人脈は大切だと強く思います。「大概は自分の問題」なので、自分で考えて決断せねばならないですが、そしてアドバイスがもらえなくても、話を聞いてもらえるうちに自分で気づくことが多い。コーチングの役割はそんなもんだと思うんです。「親身になって聞いてあげる能力」ですね。
忘れてましたが、上京時、前いたリクルート人材センターに、大阪での辞め方を隠して再び正社員入社を打診しましたが、やはりダメでしたね。そして、徐々に落ち着いてから転職活動を開始。以前も受けた日経ビジネスを出している日経BP社の営業、センサーのキーエンス、帝国データバンク、ダイヤモンドビッグ社などはことごとく全敗。この時点でも、「書くことを仕事にする」なんて考えは1%もありませんでしたね。俺は何もない。できるとしたら、リクルート時代のような対法人向け新規開拓営業だと。
★中小ベンチャーしかない!!
そんな中、リクルートの知人の情報やBingなどで知った「ミッド」というベンチャー企業に目を付けました。今では当たり前にありますが、チラシやDMを折り込みや郵送よりも安く宅配するという事業を、日本で初めて全国的FCで始めた会社です。各地の老舗企業をFC加盟店にして、地元の主婦を数百人パート契約。約500世帯ごとに配置して配るという形。ちょうど社長がPHPから本も出し、広告業界の末端ではちょっとは話題でした。私も大企業、成長企業、中堅企業と就職転職に失敗し、もう後がない。逆転するには中小ベンチャーしかないなと思い、履歴書を送付。幸か不幸か、面接1回であっさりと合格しました。失業して約6ヶ月。ホッとしましたね~。
その数ヶ月前、大阪の彼女からは別れを告げられ(実は私よりもイイ男性が現れたんです。良かったです)、30歳にして4社目の就職。もう、失敗は許されません(と思いましたが、実際は年齢は関係ない)。初出社の前日は気合いを思いっ切り入れました。ところが緊張したのか朝方まで眠れず、気が付いたら時計は午前11時!急いで昼過ぎに顔を出しましたが、皆からは思いっきり白い目で見られました。悪い予感がしましたが、1ヶ月後、まさにそれは現実のものとなったのです。