連載第五十六回目

★ウツに苦しみながらの講演
こうして2000年は講演を始めたんですが、ウツも治らずに苦しい毎日。しかし、食わねばならぬと、求人広告や営業広告の仕事は継続。既存客に加え、新規顧客の開拓も、ハローワークの求人票・新聞広告・新会社情報をリストアップ→電話・飛び込み・FAXDMでアタック。毎日、落ち込んだり、立ち直ったりの繰り返しで、その合間には講演の仕事を取るために、商工会議所や銀行へ挨拶回り。中小企業向けで予算がない場合、ぜひ、私を講師で使ってみて下さいとお願いに廻りました。
その結果、2000年は約10回の講演講師をやりました。でも実際は、講演が入るとその1週間前からメシが喉を通らなくなり、毎回、話す内容を詳しくレジメに書きましたが、いざ話す段になると緊張しまくり、もの凄く疲れました。これは大変な仕事だなと。
特に2000年の9月~11月の5回やったハローワークからの委託研修=失業者向けに脱サラ講座をやったんですが、こっちも素人で相手もヤル気ない失業者=脱サラなんかする気もなく、受講すれば失業保険の期間が伸びる、早く終われよ・・みたいな雰囲気で、参加者も毎回減る一方。これは精神の限界で、途中でこちらから中止を申し出ましたね。あの時はホント、叩きのめされました。俺はダメだと。
11月後半からは、新興宗教の善隣教へ行ったり、熊本の寺の内観研修に参加=朝から夜まで、両親に世話になったことを思い出し、感謝の念を思い起こしたり、その後にお祓い(700万の壺でなく、7千円で済んで助かった)をしてもらったり、様々な人生本を読んだりしました。
★先生は朝に新聞配達
しかし、2001年になっても状況は変わらず、講演の仕事(=過去の広告成功事例をまとめたもの)は月に1回くらいで入っては来ましたが、講演料も1万~3万でとても食えるはずもなく、講演会場では「先生」なんて云われたんですが、昼間はリストを基に広告取りの飛び込み営業&断られの日々。実質年収も200~300万で金もない。
やる気も起きない。2001年3月からは、朝4時に起きて新聞配達を始めました。その直前、2人の社長から「若い時分、苦しいときは新聞配達をやった」と聞き、当時42歳の株式会社社長(と言っても妻と2人)で昼間は「先生」でしたが、ナンとか自分を変えたい!
かつ、もう普通の広告業ではダメだ。何か他と違うことをしなければと、「デジはん」という顔写真ハンコのFC加盟店へ、全財産100万円を払って加入。1個1700円~2500円で粗利700円程度のハンコを、企業や商店へ飛び込み営業して売り歩きました。多い時は1日500社ほど廻りましたね。チラシを持って受付に飛び込み、「こんにちは!ホラっどうです!ポンッ!」と出てきたOLの目の前で顔写真ハンコを押し、「じゃあ、これを社内で回覧下さい!」と・・。まあ、落ちぶれた行商みたいなものです。
しかし、これも、毎月の本部へのロイヤルティを稼ぐに精一杯。結局は半年たって粗利100万円で加盟金とチャラ。大半のFCは本部だけが儲かるようになってるもんで、加盟店への指導やノウハウ提供はないに等しい。どうしたものかと、2001年の年末を迎えましたが、ここで人生を変える一大決心をしたのです。