連載第三回目

★受験中に名前を確認される?
福岡県立城南高校の受験中、突然、3人の試験監督=先生が私の机の周りに寄ってきました。「君が栢野君か・・」。「ええ、はい」。でも、何で俺のことを知ってるんだ???まあ、いいかと。試験はできませんでしたね。まあ、私立に行けばいいかと発表日に行くとナント合格。まあ、こういうこともあるかと、落ちた級友の前で受かった友人の飯山と喜び=でも、飯山は落ちた友人を気遣って苦笑い。友人の中には「何でもお前が受かって俺が落ちるんだ」といったヤツもいたが、私はザマアミロという感じで目の前で喜んだ=嫌らしい15歳でした。
その1ヶ月後、家の両親の寝室を通りかかると「・・・アイツも入れば何とかやるだろう」という会話が。その言葉と試験監督の言葉がバチッと合い、「そういうことか」とわかりました。つまり、真相はわかりませんが、明らかに、当時銀行の取締役だった父が何らかの手を使って私を合格させたのです。
その負い目もあり、実力以上の高校に裏口で入ったので成績もダメ。生まれて初めて中以下の成績=400人中300番前後=俺は劣等生だと感じ、かつ、担任はあの試験監督の一人で事情も知っているからか、私を白い目で虐めました。周囲の友人も裏口入学のことを知っているのではないかとビクビクし、学校へ行くのが非常に苦痛でしたね。
★家庭教師は数学教師
ところが高校1年の夏、父が転勤で小倉へ行くことになり、私も転校試験を受けることになりました。一番優秀な小倉高校は到底無理。校区で次は小倉西高校でその次は小倉南高校。当時の成績では南高は楽勝だが、西高は当落線ギリギリ。しかし、親は西高を受けるように言い、私は引っ越しのミカン箱の上で勉強していました。
すると突然、「家庭教師です」という中年の男性が。????ですが、まあ親が心配で寄越したのかと、なぜか数学だけの家庭教師を1時間で帰っていきました。
???のまま、翌日の試験に行くと、なんと全く同じ数学の問題。「またもそういうことか」と思いながらも解答し、他の英語はたまたま暗記英語は中学から得意で、かつ簡単だったのでおそらく90点以上。苦手の国語もなぜか簡単で、おそらく300万点中270点は取れたんじゃないでしょうか?当然、合格でした。
事情を知らない、当時の担任だった若狭先生は私の成績を見て「これはスゴイ生徒が入ってきた。さすがは福岡だ」なんて言ってましたが、「そりゃそうだ。試験問題知ってるんだから」。てな感じで福岡県立小倉西高校へ入学しましたが、数学の時間になって入ってきた先生を見てビックリ。あの家庭教師だったのです。「やっぱりそうか」と。この件に関しては勿論、親にも誰にも問いただしませんでした。16歳の子供ながら、やっぱり悪いこと、大変なことだとは思っていましたから。
★高度成長期の銀行役員の父
ずっと後になり、新聞で公立高校の賄賂や不正入学で逮捕された記事を何度か見ましたが、まさに紙一重のことをやっていたんですね。私の親は。まあ、私のことを思ってのことでしょうが、当時=昭和40年代の高度成長期の銀行役員というのは、相当な権力と人脈を持っていたようです。しかしその一方で、私は親に対する憎しみというか、対抗する正義感のようなものが芽生えましたね。
ただ、高校生活は楽しかったです。小倉西高は城南高校に比べて学業レベルは1ランク低く、私の成績も350人中で50~70番くらい。優越感と安定感を取り戻し、大人になって知る「鶏口牛後=例えば、大企業でビリ社員より、中小企業でリーダー」の優位性を知りました。しかし、相変わらず国語・作文は大の苦手で、単なる暗記文を書くだけでした。