連載第二十一回目

★社長になるしかない
1990年前後、独立起業系では「創業開発研究所」の小久保さん(現在、埼玉県在住。岐阜大学講師も)、企業の新規事業分野では「オゥトゥ・ジャパン」の日野さん(現在は不登校のeラーニング:アットマークラーニング代表)がコンサルでは有名でした。そして、「こんなに転職を繰り返してはもう後がない。同級生に勝つには<社長>になるしかない」と考えるようになったんですが、この2人に憧れていましたね。こんな人になりたい。しかし、とてもなれないなとあきらめた私は、小久保さんが主催した「独立起業塾」に参加しました。実はこの時点では、全く何をやったらいいかはわかりませんでした。
ヤマハ発動機、リクルート人材センター、リース、チラシ宅配・・。どの仕事も中途半端で、大した実績は上げていない。それどころか、ヤマハとリース会社はノイローゼ退社で、リクルートは正社員落第。チラシ宅配も遊びのような営業所運営。一体全体、自分には何ができるのか?異業種交流会に出て、数百人の方々と会いながら、何か自分でもできることは?好きなことは?まだ世にない、画期的なニュービジネスはないか????考えても考えてもわからない。
★天職を見つけるには転職が必要
今も毎年、様々な場所で「独立起業セミナー」が開催され、私も講師として呼ばれることが多いですが、まあ、ざっと半分以上の人は昔の私と同じく、何をやったらいいのかわからないようですね。これは別に起業に限らず、就職や転職でも、自分が何をやったいいかわからない若者がものすごく多い。リストラ組もそうですね。
そういう状況を識者は「最近の若者は自分がやりたいこともわからない」と、型どおりの批判をしますが、「自分の天職がわからないのは当たり前」だと思うんですね。特に、社会に出てもいない学生が、就職雑誌やネットだけでわかるはずがない。
一つには、私も前にやっていた就職情報誌=中身は全部広告=真実は書いていない=から、さらに、転職情報誌も広告=エエカッコシイでうそばっか=ですが、広告だから真実=現実の厳しさは書きにくいし、本当に合うかどうかは働いてみないとわからない。
だから、私が思うには、「天職」を見つけるには、普通は何回か転職してみないとわからないと思うんですね。まあ、これは7回会社を変わって、しかも起業して8年目でやっとわかりましたがね。それも去年、44歳の時です。私の場合は。こんなもんだと思うんです。もしかしたら、44歳でも早いほうかも知れない。
「天職探し=自分探し」ですね。ある意味では、これは一生賭けて探すものかも。
ということもわからなかった「俺は天職もわからない、どうしようもないヤツだと思っていた」32歳の時、小久保さんの塾に参加したんですが、まずやったことは「自分の過去を振り返る=自分の履歴書を整理する」ことでした。そして、自分ができることで食えることはなにか。好きなことは何か。小久保さんと話し合いながら、あーでもないコーデモナイと反芻しながら、2日に渡って約20時間くらい考えましたね。
★会社を設立
そして、「無理矢理」出てきたのが「無料:転職相談業」。つまり、リクルートにいて多少は裏も知っていた自分でさえ、何度も就職転職に失敗した。一般の人はもっと悩んでいるのではないか?職安に行っても頼りない公務員。民間人材銀行は、相談には多少はのってくれるが、所詮は「売れる人材」しか相手にしないし、紹介するのも「事前にビジネス契約した会社=紹介者が入社したら年収の約3割が報酬」だけ。どこも、悩める転職希望者の立場にたっていない。ならば、俺がやってみるか。ボランティアに終わるかも知れないが、何となく、悩める人の手助けになりたい。リクルート時代は「表の情報=広告」だけを取材することを覚えたが、リース会社時代の与信調査で帝国データバンクや東京商工リサーチの調査レポートを見て、企業を裏から見ること=マイナス情報=真実も把握する大切さ=を学びました。
※実はこれが後の文章を書く際に、ものすごく役立ちましたね。
「宣伝会議コピーライター養成講座」みたいな、電通や博報堂&お気楽講師&圧倒的なCM量があっての、うわべのチャラチャラしたコピー文章だけでは、求人広告も販売促進広告も、人は動かせない。それに、相手が中小零細企業の場合、10万円の広告を出したら、必ず10万円以上の粗利を得なければならない。大手企業のように、かっこいいモデルとイメージでそのうちに儲かるなんて余裕はないんです。ここから「カヤノ式:金をかけずに集客が2倍から19倍:弱者必勝の広告PR集客戦略」が後に生まれるんです(詳細を解説したビデオはHPで販売中)。
しかしまあ、この「嘘をつかない」ビジネスのやり方は、すぐには儲けを生みません。私のモットーである「本気!正直!感謝しかない!」は、多少の下積み時代が必要なんですね。でも、それを貫けば、ビジネスだけでなく、自分の人間力をも磨くことになる。
こうして、’91年2月22日に東京の行政書士:国吉栄長さんに頼んで(株)アントロポスデータ・ジャパンを資本金150万円で設立。まあ、法人にする必要もなかったんですが、なんとなくカッコつけたんですね。社名は当時、日経が出していた人間情報誌「日経アントロポス=ギリシャ語で人類」から拝借し、かつ、前述の日野さんの真似をして「ジャパン」をつけました。
肝心の収入面ですが、あくまでも転職希望者側に立って相談にのり、その人に会った会社を選択。紹介をして「人事コンサルティング料」を企業からもらえればラッキー、もらえなければそれでも構わない。それと、同時に昔取った杵柄の求人広告代理業でもやればいけるさ、なんとかなると、顧客は全くのゼロで始めました。当時32歳。まさに若気の至りですね。
結果は半年後、文字通り「食えなくなり」、私は毎日、百貨店の地下食品売場:試食コーナーを徘徊することになります。